ことばとじぶん
高度な言語能力と引き換えに、目の前のものだけを見る愚直さが失われてしまった。
昔は今の自分よりすごい自分なんてのはいなくて、
自分を取り巻く環境がこうも複雑だなんて考えなくて、
ただその瞬間を常に最高の自分で居ることができた。
"ことば"は触れることが出来ないもの、目に見えないものだけでなく、存在しないものすら、そこに在らしめる。
神だって"ことば"だ。
"ことば"は可能性だ。
可能性は"ことば"でしかない。
可能性は無限だ、なんて言うけど、"ことば"は有限だ。
"ことば"はモノとモノ、コトとコトを分けるものだ。
いま、自分が認識している"じぶん"とは別の"じぶん"がいるかもしれない、
その分かれ目を認識することによって、"じぶん"の可能性は計数可能になる。
可能性は想像だ。
ひとは知らないものは想像できない。
想像できるものは類推できるものだけだ。
材料(="ことば")を
いくら増やしても、
いくら組み換えても、
数えるのが面倒になるだけで、想像も無限にはならない。
ならば、最初から何も知らなければ、可能性は無限になるのだろうか。