赤い人のブログ

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ことばとじぶん

高度な言語能力と引き換えに、目の前のものだけを見る愚直さが失われてしまった。

 

昔は今の自分よりすごい自分なんてのはいなくて、

自分を取り巻く環境がこうも複雑だなんて考えなくて、

ただその瞬間を常に最高の自分で居ることができた。

 

"ことば"は触れることが出来ないもの、目に見えないものだけでなく、存在しないものすら、そこに在らしめる。

 

神だって"ことば"だ。

 

 

"ことば"は可能性だ。

 

可能性は"ことば"でしかない。

 

可能性は無限だ、なんて言うけど、"ことば"は有限だ。

 

"ことば"はモノとモノ、コトとコトを分けるものだ。

 

 

いま、自分が認識している"じぶん"とは別の"じぶん"がいるかもしれない、

その分かれ目を認識することによって、"じぶん"の可能性は計数可能になる。

 

 

可能性は想像だ。

 

 

ひとは知らないものは想像できない。

 

想像できるものは類推できるものだけだ。

 

材料(="ことば")を

いくら増やしても、

いくら組み換えても、

数えるのが面倒になるだけで、想像も無限にはならない。

 

 

ならば、最初から何も知らなければ、可能性は無限になるのだろうか。