僕らはルフィや悟空なのかもしれないという話。
ブロガー(笑)っぽいタイトルを付けたくなる病気かなにかに罹ってる。
漫画×音楽の話。
漫画は好きだけど、熱心な読者ではないということを断っておく。
うろ覚えとか飛ばし読みとかなので、熱心な読者から「違う!」って言われそう。
さて、
ここでいう「僕ら」は「趣味で音楽をしている人」としておく。
音楽に限らず当てはまるかもしれないが、音楽が一番しっくり来てる。
で、
悟空とルフィ。
ふと、彼らは「趣味人」なんじゃないかと思った。
彼らの行動の源は「楽しみ」だと解釈してる。
強い奴と戦う。
海賊王になる。
これは単純に個人のポジティブな欲求だと思う。
その過程で、怒りや悲しみ(彼らは怒ってることのほうが多いが)が生まれることもあるが、彼らの切り替えはわりと早いほうに見える。
そしてまた彼らは戦いに赴き、大海原へ漕ぎ出す。
これは僕らも同じじゃないか。
音楽をする中で、誰かとぶつかったり、誰かの不義理にあったりする。
悲しみや怒りが湧く。
それでも僕らは音楽をする。
というか、見習いたいと思う。
彼らの切り替えの早さを。
寝る、食う→切り替える
これってなかなかできることじゃない。
むしろ彼らを見てると、もっと余韻とか、こう、ないの!?
と思わないでもない。
が、好きなことに熱中するときには、ネガティブな感情など抱えてないほうが、身軽でいいのだろうな。
あとは悟空とルフィの違いも見えてきた。
僕らになぞらえると、
悟空=ソロ志向
ルフィ=合奏志向
かなと。
そらそうっちゃそうなんだが。
悟空にも仲間や家族はいるが、彼らは悟空のことをあまり理解していないし、悟空も理解されたいと思っていないように感じる。
それよりも、自分が強い相手と戦いたい。という思いが強い。
あとは、悟飯を戦わせようとするあたりは悟空も他人のことをあまり理解しようとしていない気はする。ただし、自分と同じフィールドに立たせたい、という思いはある。
ソロの人見てると、当たらずとも遠からずなんじゃないか、と思うことがある。
ルフィも大元の行動原理は個人の欲望(あこがれ)から始まっているという点では同じ。だが、彼の人柄に惹かれて彼の元には人が集まってくる。
自然とそうなることもあれば、あるときは強引に、他の海賊団から移籍するものまでいる。年齢や実力もあまり関係なく。
ルフィの海賊王になりたいという思いは独りでは成就しない。
(はず。海賊王=海賊団の船長でなければならないわけではないが、ワンマンアーミーでは無理そう。)
その想いに応えるフォロワーがいて、初めて海賊団になる。
そして、彼はフォロワーの想い・目的を汲み取り、ともに歩もうとする。
もちろん、ただの利害の一致と読むこともできるし、実際に寄り合い所帯じみているところもある。
(例)ゾロの世界一の剣豪とルフィの海賊王は過程〈他の海賊団(剣士)との衝突〉が同じである。
だが、彼にとっての「海賊王」とはみんなの想いを包括する存在なのかもしれない。
これはそのまま合奏団に当てはまるんじゃないか。
やりたいことがある人の元に、理由は様々ながら人が集まり、合奏団になる。
そういう意味ではルフィのように生きたいと思う。
さらに、ワンピースの中の海賊団にも様々な団がある。
大小強弱はもちろん、略奪やカネのために動くもの、楽しみのために動くもの、まとまりのあるものないもの、本拠地を持つもの旅をつづけるもの、公権力に近いもの、権力とは無縁なもの。
時には利害の一致によって、もしくはそれを超えた共鳴のようなものがあって、大船団を結成することもある。
こういうことに対するあこがれが主宰者の集いという形になったのかもしれない。
非常にカラフルになった。授業もこれぐらい色が使えればなあ。